雪中行軍遭難悲話

雪中行軍隊


貴方は 人目の慰霊者です
-アイコン製作:“大和のカケラ(大和兵団)”様-
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皆さんは八甲田山雪中行軍と云う言葉を聞いた事がありますか?
聞いた事があっても、具体的に何の事か判らない方も多いと思います。
明治35年1月23日、青森歩兵第五聯隊第二大隊は軍事演習の為、
八甲田山麓に突入しました。

雪の八甲田で何が起ったのか…?

地図をDL後、解凍して照合し乍ら読んで頂くと判り易いかと思います。
(解凍ソフトはコチラからDLして下さい)


八甲田山とは・・・?

実際、八甲田山という名の山はありません。
大岳(標高1584b)、前岳、田茂萢岳、赤倉岳、井戸岳、硫黄岳、石倉岳、高田大岳の事を言い、
これらが八つの甲に見える事から通常八甲田と呼ばれています。
正式には「北八甲田連峰」と言います。


尚、銅像のモデル・後藤房之助伍長を「行軍隊の隊長」と思われる方もいる様ですが、
行軍中の主任中隊長は神成文吉大尉です。
“伍長”という階級は下から4番目で大尉よりも6階級も下です。

後藤伍長は救出後、
その証言により「捜索の手がかりになった」という意味から銅像のモデルになりました。

亦、銅像の場所(馬立場)が“後藤伍長発見の地”と思われがちですが、
その地は、かなり市内の方に下っていった大滝平という所で、
県道40号線沿には「後藤伍長発見の地」という標が立っています。


構文:TOSHIBO


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更新情報
小説(映画)と史実の相違点

雪中行軍隊行程

雪中行軍隊員名簿

記録簿
-指揮官達と生存者、その他-


美談集
-『遭難始末』より-


後藤伍長の口述

生存者 倉石大尉の遭難談

捜索救護隊の活躍

七勇士
-弘前隊を案内した7名の案内人-




関連リンク

参考史料




八甲田山紀行録
-へなちょこ雪中行軍隊が行く-


御子孫訪問録



特別附録
-同志・Jたろん斥候長による報告書-
我、田代ヘノ道ヲ發見セリ

再現雪中行軍隊に謁見

御子孫と行く秘湯探検
-田代元湯-



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