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| オフ会記念パンフレット表紙より |
| 去る平成16年7月24〜25日 かねてより予定されていた“The TOSHIBO'S MUSEUM”三・五周年記念オフ会が、八甲田山麓の酸ヶ湯温泉を拠点に開催された。 参加兵力は前回の倍で、金沢隊(のらくろ小隊長)、沖縄隊(田代元子小隊長)、弘前隊(ごんた小隊長)、地元案内人(Jたろん斥候長)、そして随行員を連れた仙台隊(へなちょこ指揮官・TOSHIBO夫妻)、以上5小隊+随行員である。 |
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| 行軍準備編 | |
| 5月 | 首魁・田代元子嬢、青森市観光課に幸畑資料館について情報収集。 諜報活動開始。 |
| 6月 6日 | オフ会専用掲示板設置(一般非公開) 期日は7月24日から一泊行軍を行なう事で決定! 地元のJたろん氏に嚮導役を嘆願し、予定参加人員7名(嚮導を含む本隊5名・臨時移動随行本部2名)の内容で行軍計画が練られる。 |
| 6月 9日 | のらくろ氏、夜行バスにて行軍当日早朝に仙台着と判明 |
| 6月13日 | 実行計画書(仮)発表 |
| 6月14日 | 実行計画書(第二案)発表。 嚮導人・Jたろん氏に賛同を受ける。 随行本部、「奥入瀬を思い通りに歩ぐ!」と発言。 |
| 6月24日 | 嚮導人・Jたろん氏、斥候となり田茂木野〜馬立場付近を視察。(この日、斥候長を拝命) |
| 6月27日 | 田代温泉入浴案が出、行程に入れるか否か論議 (後日、危険かつ困難なる場所と判明) |
| 7月 2日 | 各人、自己紹介・身元判明 |
| 7月 8日 | 「ヨンさまより、ブンさまぁ!」発言が出る。 |
| 7月12日 | へなちょこ指揮官、大和兵団の雅氏に企画協力嘆願、快く了承される。 掲示板に「みんなを驚かす企画あり」と発表。 |
| 7月13日 | 『雪中行軍遭難者慰霊塔』が行程に入る。 Jたろん斥候長、田代温泉と慰霊塔を探索に行くも其ノ姿ヲ発見セズ… |
| 7月14日 | 実行計画書(最終案)発表。 随行員1名欠落。 |
| 7月17日 | 十和田市教育委員会を通じて、『七勇士』の御子孫(福沢氏)と連絡を取る事に成功。 その後、幾度となく連絡を頂く。 |
| 7月22日 | Jたろん斥候長、幸畑資料館新装開店日に館内視察。 「館内でコスプレが出来、亦ジオラマ有!」との情報が入る。 へなちょこ行軍隊員狂喜乱舞! |
| 7月23日 | 田代元子諜報員、沖縄出発⇒仙台前泊。 晩方、へなちょこ指揮官及び随行員と“前夜祭”敢行。 行軍の安全祈願と210名の英霊を遥拝し乾杯。 のらくろ氏、夜行バスにて金沢出発! |
| 7月24日 | 04:00、快晴だ! しかし3時間しか眠れなかった。 遠足前夜の子供の如しである。 わが愛機である自家用送迎車両は、前任のキャラ吉で冬の八甲田に挑んだ際にエライ目に逢ったので四輪駆動車を選んだ。 乗車定員も8名であり、いわば今日の為(八甲田行きの為)に選択されたと言っても過言ではない。 ナンバーも希望ナンバー(ウケ狙い)とし、昨夜目出度く“八五郎”と命名された。(『吹雪の惨劇 第2部』P.154参照) 05:40 へなちょこ指揮官(私)及び随行本部員(ばんちょお)は営舎を出発した。 私は大和兵団の雅さんから拝借した明治軍服に身を包んだものの、この季節に羅紗服は暑い! 雅さんから頂いた「クレグレモ熱中症ニハ注意サレタシ」の意味が判った。 腰に装着した銃剣鞘が変速切替装置に引っ掛かる! あまりの暑さのため車内冷房(最低温度に設定)をかけるが、薄着の随行員は寒いよ〜と言う。 そりゃそうだわな^^; 取り急ぎ、一路田代さんの宿泊地を目指す。 ホテルの前に八五郎を停めると、左舷扉鏡越しに車両の背後から近付く彼女を発見! 操縦席を降り、車両の背後から忍び寄り、彼女に挨拶。 私を見るなり彼女の動きが止まった。
第一次ドッキリ作戦成功! 次なる目的地は、のらくろ氏(師匠)をお出迎えすべく、仙台駅前の長距離バス乗降場である。 改めて軍帽を被り、予定到着時間5分前にバス停に着いたが、金沢からのバスは既にいた。 のらくろ氏を発見! 彼もコッチを見つけたようだ。 ヤベ!見つかった! 路肩に八五郎を停め、ワラワラと降りていってお出迎え。 目が合った瞬間お疲れ様です!と敬礼。その距離約20b。
随行員に写真機を渡し、3人で写した。 後で聞いた事だが、どうやら注目の的だったらしい。(わはは!)
取り敢えずの任務(第二次ドッキリ作戦)を終え、武装解除。 厚い上着を脱いでTシャツになった。 しかし、下半身はそのままである。(脚絆もね) だってJたろん斥候長をもビックリさせるんだも〜ん♪ 我が隊は、一路仙台宮城インターを目指す。 そのインター直前でコンビニへ寄った時の会話。
田代さんは変な声で笑い出し、遂に床にうずくまってしまった。 どうやら彼女のツボに嵌ったらしい(爆) さて、東北自動車道を北上する! 爽快なる天候も手伝って、BGMはブライアン・セッツァー・オーケストラの“In The Mood”でスタートだ! 以前の愛機・キャラ吉の時は下り坂で120kmがやっとだったが、今回の八五郎は違う! 気付くと140〜150kmは出ていた。 流石3000ターボは違うねぇ〜 古川を越えた頃、築館の看板が見えてきた。
田代さんはバタバタしていた。 時間があれば墓参したいとこだったが、行程外なので先を急ぐ。 岩手県を抜け、秋田県を抜け、遂に青森県突入! その看板を指さして青・・森・・県だ・・・と言ったが誰も突っ込んでくれなかった・・・(とほほ) 青森中央インターに着いた。 少しは気温が下がってるかと思いきや、相変らずクソ暑い! ま〜だあの厚い上着着ねげねぇのがや〜と言ったら師匠と田代さんは大笑い。 随行員は脇ではぁ〜と呆れていた。 一度、車を降り、最後部に積んであった軍装を身にまとい、操縦席に戻る。 その時、遠くから熱い視線(それも女性!)を感じた。その距離50b! ほら〜アンタんトコ変な目で見てるよ〜と随行員。 お?もしかしたら明治マニヤかもしれん! 俺んトコ見て、きっと羨ましがってるに違ぇねぇ! もしかして惚れられちゃったかぁ〜? 相変らず師匠と田代さんは大笑いである。 否、半ば呆れてたのかもしれない。。(謎) 車両を動かし始めた頃、助手席の随行本部員は小声で言った。 しゅっぱ〜ちゅ! 一瞬、私は凍りついた。 そして思わず後部にいた2人に言った。
師匠と田代さんは大笑いである。 へなちょこ指揮官・TOSHIBOは単なる運転手の座に落ちた。 へなちょこ指揮官は呟いた。 へなちょこ行軍隊の指揮権はいったい誰に・・・?そんな事はいい! Jたろんさん、Jたろんさんに会えさえすれば道が拓けるかもしれない・・・ てな訳で、青森駅前で待つJたろん斥候長(兼嚮導)と連絡をとり、一路青森駅を目指す。 その青森駅前は混んでいた。 路肩に八五郎を停めようにも、丁度いいスペースが無い。 そうこうしている内に、Jたろんさんが来ちまったので降りて行った。 彼は、案内人らしくツマゴを履いて笠と蓑に身を包んでいるかと思いきや! その期待は綺麗サッパリ裏切られた。。(当然だ!今は真夏だぞ!)
こうして滞りなくドッキリ企画は終り、再度軍装を解いた。 弘前から来るごんちゃんは、直接宿営地に来るので“へなちょこ行軍隊”は取り敢えず揃った形になる。 ここで改めて各人を紹介しよう。
隊列は助手席に随行員、二列目に師匠と田代さん、最後部にJたろん斥候長(案内人)という布陣であった。 何故に案内人が最後部で、随行員が最前列なんだ!?(逆だろーが!) 時計は10:30を回っていた。 最初の目的地は『防衛館』である(陸上自衛隊青森駐屯地内、要予約)。 道中みんなが言う。
流石のバカな私も怖気付いている。 路肩に停車し、車内で着替えようとしたその瞬間、師匠が呟いた。 ヤリ・・・ 突然、田代さんが笑い出した。 彼女のツボに見事的中したらしい。 彼女はひきつけを起こすかと思うくらい笑い続けていた。。 最後はむせてゼーゼーしていた。。 11:00 いよいよ自衛隊突入! 通常、土日は館内の案内が付かないのだが、たまたまいらした係員さん(尉官かな?)に説明して頂いた。 館内の詳細は三周年オフ会報告と重複するので省略するが、前回気付かなかった事があった。 階段の踊場にある水野中尉の出身が「東京」になっていた。 鎌倉だから神奈川だよなと最初に気付いたのは、のらくろ師匠だった。 さすが師匠!
係の方が仰った。 「何かの記事で読んだんですが、後藤伍長は行軍当時上等兵だったが捜索の手掛かりになったという事で伍長に昇進したようです」と。 のらくろ師匠も聞いた事があるそうだ。 更に三浦伍長も上等兵だったとの事。さすが師匠! しかし、当時の新聞(1月29日付、東奥日報号外)を見ると確かに三浦さんは上等兵(『遭難始末』『第五聯隊遭難始末』にも明記)だが後藤さんは伍長になっている。 皆で首を捻った。 亦、『山口少佐以下9名生存の地』(沢)まで行けるか否か訊いたら「今の季節は草木が生い茂っており、その格好では(草木が)肌に刺さって痛くてしょうがない。下りて行くのは無理ですよ」と言われた。 (-_-; う〜ぬ・・・皆で唸った。 更に「幾ら捜しても1月28・30日〜2月7日分の東奥日報が無いんです。新聞社に問い合せてみても無いんですよ」との事。 恐らく軍部から圧力がかかったのだろう。 田代さんは、初の資料館見学に目を輝かせている。 待ちに待った神成大尉や倉石大尉の御真影の前で前回のキンコさん同様、大ハシャギになるかと思ったが、グッとこらえていたようだ。 替りにJたろん斥候長が文吉〜とか倉石〜いつ見てもいい男だなぁ〜と代弁していた。 旧・兵舎前で記念写真を撮り、わがへなちょこ行軍隊は本当の行軍隊の足跡を辿るべく筒井(歩兵第五聯隊跡地=青森高校)に向った。
聯隊跡地に着くや否や不穏な動きをする婦女子の姿が・・・ 大々的に言える事ではないので、今回もまた敢えて控えさせて頂く。 恐るべしマニヤのパワー!(パート2) 営門跡(校門)をバックに田代さんを撮ってやろうとしたら 折角だから軍帽貸して!と言う。 どうせなら上着も着たら?と言ったら彼女はイヒヒ♪と悪戯っぽい笑みを浮かべた。 そしてパチリ!
さて、営門を出発したわがへなちょこ行軍隊は、第五聯隊雪中行軍隊の足跡を辿り始めた。 ここで気分を高揚すべくBGMを更迭した。 映画『八甲田山』のサントラである! 田代さんはキタキタキタ〜〜〜!と案の定大喜びだ! 営門を出た雪中行軍隊は、まず幸畑陸軍墓地で行軍の安全を祈願した というワケで、幸畑へ・・・ そこには新装開館したばかりの資料館が建っていた。 入館早々、俗称・後藤伍長像のレプリカが我々を迎えてくれた。
そして、田代諜報員が予め交渉してくれていた収蔵庫を見せて頂いた。 ドアを開けたら、いきなり立見師団長閣下の椅子が! 早速、腰を降ろす田代嬢は御満悦だ。 ほら〜隊長も!と彼女に促され、私もよっこらしょ。。
中には正装用の少尉の帽子があったが、遺品であるのにも関わらず無造作に置かれていたのには一同残念に思えた。 それは御世辞にも保管とは言えない状態であった・・・ 館内には、事前調査をしていたJたろん斥候長の情報通り、判り易いジオラマがあった。 しかし、至る所に決定的誤りが!
馬立場の『鹿鳴庵』同様、小笠原(孤酒)さんが監修だったらこんな間違いは無かったろうに・・・ 皆で失笑していた。 そして、これまたJたろん斥候長の情報にもあったコスプレコーナー! 軍帽を被って外套を着て、実際の重さ(8kg)の背嚢セットを背負えるのだ! しっかり写真を撮ってしまった^^;
のらくろ師匠にも勧めたが、どうも帽子が小さい。 流石は師匠!必要以上に脳がギッシリ詰まっているようだ。
現在の展示スペースでは、収蔵庫内の遺品等を並べられない。 館内の趣向から察すると、此処ではなく『防衛館』か『鹿鳴庵』に展示された方が良さそうに思えた。 館内見学を終えた我々は、建物西側に眠る210名の英霊達に会いに行った。 前回は雪に埋もれて誰が誰だか判らなかったが、今回は一番低い兵卒の方々の墓標までハッキリ確認できた。 勿論、単体で建てられてる倉石大尉(戦死後少佐)の墓標も確認できた。
墓参も終えた我々は田茂木野へ向った。 ここには遺体安置所跡がある。 りんご園の奥にあるのだが、流石のJたろん斥候長もなかなか見付けられなかったらしい。 住宅地の陰にひっそりと祠があるだけだ。 なんだか寂しくなった。
田茂木野を後にしたわが隊は、行軍ルートの探索を続行する。 神成中隊が予備演習を行なった小峠を越え、大峠の先の大滝平。 ここは『後藤伍長発見の地』である。 我々は車を停めて歩いてみた。 その『伍長発見の地』より、やや田茂木野寄りの小高い茂みの中に古い木標があった。 『伍長発見の地』から道路を挟んだ斜め向かいにそれはあった。 雪中行軍関係のものかとよ〜く見てみるも、その文字はすっかり消えて判らない。 遺体発見地図を照合してみた結果、第二小隊長・鈴木少尉の遺体が見つかった場所ではないかというのが我々の見解であった。 しかし、何の木標だったのだろう・・・? 亦、この付近で神成中隊長の遺体も発見されている。 我々は捜索を開始した!(と言っても遺体の捜索ではない。念の為) 伍長発見の地から100b位のはずだ。もしかしたら茂みの中に碑が埋もれてるかもしれないという事で、その辺りを探すもそれらしき碑は見つからなかった。 『遭難始末』にも伍長ノ位置ヨリ東方約百米突地ニ於テ埋没セル神成大尉ヲ発見シ・・・と明記されており、地図を照合した我々はまぁこの辺だろうと勝手に決め付け、次のポイントに向った。
大滝平を越えると賽の河原〜馬立場へと続く。 その賽の河原での会話。
突然、のらくろ師匠が叫んだ。 ば、バカな! あそこは既に遺体36名の収容を済んでおる! それも昨日のうちにだ! 何かにとり憑かれたようだ。 馬立場(標高732.7b)に着いた頃、風が強くなった。 いつ来てもここはこうだ。 取り敢えず我々は銅像(青森歩兵第二大隊遭難記念碑)に向った。 突然、先頭を歩いていたのらくろ師匠が振り向いて叫んだ。 軍歌ァ!雪の進軍!はじめィ! 田代さんと私はこれに続いた。 ♪ゆっき〜の進軍 こ〜おりを踏んで ど〜れが河やら道さえ知れず〜う 馬〜はた〜おぉれる 捨てても置けず こ〜こはい〜ずこぞみ〜な敵の国 まま〜よだ〜いぃたん 一服やれば た〜のみす〜くなや タ〜バコが二本 私が歌えるのはここまでである。 しかし御二方は歌い続ける。 焼か〜ぬひ〜ものに半煮え飯で な〜まじ命のあ〜るそ〜のぉうちは〜あ 耐え〜切れ〜えぇない 寒さの焚火 け〜むいは〜ずだよ な〜まきがいぶる しぶ〜いか〜おぉし〜て功名ばなし ス〜イというのはう〜めぼしひとつ まだ続ける! 着の〜み着〜の〜まま 気〜楽なふしど は〜いのぉ枕に外套被りゃ〜あ せな〜のぬ〜くぅみで雪解けかかる 夜〜具のき〜びがらシッポリ濡れて 結〜びか〜ねぇた〜る露営の夢を つ〜きはつ〜めたくか〜お覗き込む まだまだ続く! いの〜ちさ〜さげて出〜てきた身ゆえ 死〜するか〜くごで突貫すれど〜お ぶっう〜んつ〜たぁな〜く討ち死にせねば 義〜理にか〜らめたじゅっぺいまわた そろ〜りそ〜ろぉりと首締めかかる ど〜おも生〜きてはか〜えらぬつもり なんなんだ、コイツらわ!全部歌いやがったぞ! それも手放しで! やはり只者ではない! う〜ぬ・・・恐るべし・・・
そうこうしているうちに銅像の前に到着。 しかし駒込渓谷からの巻き返しの風が強い! しかしなかなか良い音だ! こんな時に限って田代さんはスカートではなかった。。(爆)
16:50 鹿鳴庵(資料館)は閉館になったので、銅像茶屋で各人史料購入。 本日の行程には鳴沢(第二露営地)と平沢(第一露営地)もあったが、宿営地の食事時間が気掛りだったので各小隊長を集め緊急会議の結果、予定を変更し(露営地見学は明日に順延)この地で露営・・・ ではなく宿へ向う事にした。 各人の頭の中で渦巻く 今日は温泉で一盃だぞ〜 ひとり一合は間違いないですね いや、二合かもしれませんぞ。ウヒヒ♪ という言葉が聴こえていた。。(ホントかよ!) そして遂に宿営地・酸ヶ湯温泉に到着! 我々よりちょっと遅れて丁度ごんちゃんも到着した。 各自の部屋から大部屋に通され、長老(?)のらくろ師匠の音頭で乾杯!宴が始まった。 遠方から来られた師匠と田代さん、嚮導兼斥候となって頂いたJたろんさん、県大会で忙しい中駆けつけてくれたごんちゃんらにお酌をし、改めて各人簡単な自己紹介を終えると、師匠と田代さんから各人に極秘史料が配布された。 のらくろ師匠からは、八甲田山遭難実録、喜寿になる阿部一等卒の記事(昭和31年2月1日のサン写真新聞)、後藤伍長の奥様のインタビュー(昭和35年1月9日の河北新報)、驚愕子さんの書いた丸秘文書発見記事(昭和52年2月28日の読売新聞)、橋本忍を囲んで(同年6月11日の北国新聞)等の記事(いずれも複写)を頂いた。 更に沢内吉助さんの『口述筆記』の原本(ガリ版の青刷本)を拝ませて頂いた。 田代さんからは、水野中尉の関係書類(新宮市から借りた物)や家系譜、乃木夫妻に纏わるミステリアスな記事(いずれも複写)を頂いた。 早速、各人史料に目を通す。 そんな中、食う事に余念を欠かさなかったのは随行員ただ一人であった。
最初に頼んだビール数本が底をつき、各人持ち合わせの地酒が開封される。 まずはへなちょこ指揮官持参の『一の蔵』である。 様々な話(マニヤックな話?)に花が咲き、宴もたけなわになった頃、随行員が頭が痛いという事で部屋に戻った。 連日の暑さと疲れと寝不足が祟ったのかもしれない。 間もなくすると仲居さんが「そろそろ・・・」と加賀まりこの如く、入口側にいた田代さんに言ってきた。 「もう退散の時間かな?」と私が思っていたら、部屋の広いスペースに長めの座卓が出された。 気が付くと田代さんがいない。 「?」と私が思っていたら、Jたろんさんが何やら音響機械をいじっている。 そうしているうちに田代さんが箱を抱えてきた。 「??」と思っていたら急に音楽が鳴り出し、一瞬何が起ったのか判らなかったが TOSHIBOさん、お誕生日おめでと〜〜!と言われた。 誕生日を明日に控えていたが、こういう形でお祝いを受けるとは想像だにしなかった。 感激のあまり、酔いは一気に醒めた。 急いで部屋に戻り、随行員を非常呼集!
横になってた随行員をたたき起こし、再度宴の間に戻る。 部屋に着くと照明は消されており、ケーキの上に蝋燭が埋没されていた。 おお〜〜〜ッ!随行員はその光景に感動しているようだ。 はいはい、座って座って!田代さんと師匠に促され、席につくと蝋燭に火が灯された。 田代さんの音頭で♪ハッピバ〜スデ〜ツ〜ユ〜が始まる。 この歳になって改めて祝って貰えるなんて夢にも思っていなかったので感無量であった。 あまりの嬉しさに目からヨダレが出そうになった。(男哭) 田代さんに入刀して頂き、各人に分配された。
皆で年甲斐もなくケーキに舌鼓を打っていると、随行員がこっそり頭痛いから部屋に持ってってもいいかなぁ?と言うので同意した。 いつもなら、ごんちゃんは必ず『おめでとう電文』や一声かけてくれるのに、今日に限って何も無かった。 後から知ったのだが、密かに打合せされていたらしい。
ふと気付くと、随行員がケーキをたいらげていた。
一同、大笑い! 全く現金な女である。。 さて、仲居さん達による片付けが始まったので我々は荷物を纏めて我々の部屋に退散した。 が、夜は長い! 男部屋(師匠&斥候長の部屋)で二次会が始まった。 隊列を離れた随行員以外全員集まった。 少しすると、ごんちゃんがお風呂入ってくると言って部屋を出て行った。 そう言えば、まだ彼女にボクの素敵な勇姿を見せてなかったなぁと言うと、お三方は笑ってた^^; 早速軍装に着替えて彼女の戻りを待つ。しかし相変らず暑い! 30分ほどすると、やっとごんちゃんが戻って来た。 チョ〜ットTOSHIBOくん、何そのカッコ〜!?というのを期待してたが・・・
相変らずクールな女だ。。 面白くないので早々に浴衣に着替えた・・・(とほほ) 残った地酒を順次開封した。 ここで、前回のオフ会前にへなちょこの師である葉月さんからアドバイスを受けた土産を配った。 それは、骨董品屋(蔵出し)で見つけた戦時中の盃である。 それぞれ「満州事変記念」とか「除隊記念」とか「第二師団」とか書いてある。 でも、こんなの貰って嬉しいのは極く一部のマニヤだけであろう(笑)
そうこうしているうち、明日早いからお先に。。という事でごんちゃんは田代さんに部屋の鍵を渡し、部屋に戻っていった(時間不明) ふと気付くと、様々なマニヤックな話をしているうちに四合瓶3本が空いてしまっていた。。 勢い付いた師匠が言った。
唇をとんがらせた師匠は不満そうだ(笑) そしてふて腐れた師匠の公約通り(?)の暴走が始まった! しかし、公開するに能わず・・・ 夏の八甲田で何が起ったのか!? そして、私もかなり酔いが回ったので部屋に戻った。 男部屋に田代さんを残留し・・・ 時に03:00過ぎだった。(らしい) 激動の行軍一日目はこうして終った。
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